風邪薬ODで人生狂った高校生 自殺未遂経験も

まず初めに、興味本位でOD(薬多量服薬)を考えてる人はこれを読んだ上で決めてください。全て私が高1の時に経験した話です。

 

しんどい辛い死にたい。ODしたらどうなるのかな?ふとそう思い、TwitterGoogleなどで調べてみると、『ふわふわ気持ちぃ〜』『ブロン、レタス最高‼️』

 

私は、興味が湧きました。少しでもこの現実から抜け出せるのはこれしかないと。

 

家に薬がないか探してみると、ロキソニンカロナールが何袋か置いてありました。これでいいか。そんな軽はずみな気持ちで全て飲みほしました。

 

1時間後…2時間後…あれ?何も起きないなぁ。

 

次の日、私は布団から起き上がれないほどの体のだるさ、生理の何百倍もの腰の痛さ、口の水分が全て失われ喉が張り付きそうなくらいの口乾に襲われました。尿意はあるものの気張ってやっと少量。それなのに喉が渇いて水を何度も何度も床をはいながら飲みに行く。ご飯は見たり匂いだけで吐き気がするくらい食べれなく、でもODしたなんて言って病院に行く勇気もなく何週間もじっと家で耐えていました。一向に回復する感じもなかった為やっと病院に行き、胃薬を貰いなんとか徐々に回復していきました。

 

そこでこりて辞めておけば良かったものの、私はこの薬だからいけなかったんだ!と思い、数日間寝込んでて友達に心配され、その時にもらったコンタックをODしました。

 

何も起きないなと少し寝て、起きてみると世界は変わっていました。ふわふわふわふわ〜超気持ちいい。音楽が体に一体化して、母親に話しかけられたけど呂律が上手く回らなくて、バレないように部屋にこもってイヤホンガンガンで音楽を聞いて踊っていました。

 

それからトリコになり、薬局へ行っては風邪薬を買い、ODばかりしていました。だんだんお金もそこを着き、風邪薬を万引きしてまで手に入れるようになりました。コンタックだけでは収まらず、金パブ(金のパブロン)、ブロン、レタス(レスタミン)、Twitterを参考になんでも試すようになりました。それぞれ違った感覚を楽しめ、毎日のようにバイトや学校の時でも使用するようになりました。

 

ここから人生が狂い始めました。

 

メンタル的にしんどくて今日はバイトに行く気分になれず、仮病を使って休もうとしましたが、休ませて貰えず、嫌々行く事を決意しました。

 

これさえあれば…。いつもより多めに瓶丸ごと飲みほしました。そこから記憶は無いです。夢を見ている感覚でした。ブー‼️ポンッ‼️あちこちで色んな音がなっています。電話がなってバイト先の人が「おかしいぞ!なんか薬物したか?酔ってる?」などと声をかけていますが、「おかしくないよ〜普通だよ〜」友達感覚で話していました。はっ!バイト行かなきゃ!そう思い、歩くものの、どっちに向かっているのやら、ここがどこかさえもわからず、足もふらつき視界が揺れて地べたに座り込みました。あれ?私何しようとしてたんだっけ。目の前の人達がみんな私を睨んでいるように見えたり、通る人全員が知り合いの顔に見えたり、気づいたら知らない人に話しかけていたり、見えない誰かと話していたり、訳が分からない状態でした。日が落ちて真っ暗になってきました。行かなきゃ!そう思い立ち上がろうとすると100倍になった重量がのしかかり、地面に倒れました。「大丈夫?」などと色んな方面から聞こえてるのは分かりますが自分がどういう状況かも理解出来ずひたすら立っては倒れ、立っては倒れを繰り返していました。

 

また記憶が飛び、気づけば警察に囲まれていました。後々聞いた話だと通りすがりの人が私の姿を見て通報したのだと。話噛み合ってないよ?何度も言われました。「怪我大丈夫なの?」足を見ると血だらけでした。小刻みに足が震え、手の震えも止まりませんでした。パトカーに乗り、警察署で事情聴取。警察官全員の顔の見分けがつかず、友達だと思い話していました。「あれ?携帯は?」気づいた頃には携帯や化粧品が無く、警察も来た頃には持っていなかったと言われました。

 

その後、一時保護所に連れていかれました。狭い部屋に閉じ込められ、白い壁を見ているとそこに移るシミが虫に見え、うじゃうじゃと私に向かってきて見えました。ビックリして飛び起きてひたすら怯えながら寝ました。朝早くに起きると昨日あった事がだんだん蘇ってきて、自分は何をしているんだとふと現実に戻り怖くなりました。するとどんどん怖くなって過呼吸になり、助けて!!と叫びましたが、「ヤバい奴」と思われ部屋に閉じ込められました。

 

それ以降、バイト先にも友達にも連絡できず、学校も行けないままひたすら家に閉じこもりました。その間、何度か散歩と偽り薬局へ行き、ODもしていました。ここまでの事があってもなお辞める事は出来なかったのです。

 

このままじゃダメだ。遠くに行って死のう。そう思い、母親が寝静まった頃に家を出て地元を離れ、そこで今まで以上の薬を大量に買い、自殺をはかろうとしました。今まで何度か団地の屋上へ行ったり縄をくくったりしていましたが、死ぬ勇気は無かったですが、薬を飲むだけでいけるならいつもより多く飲めばいいだけの事だとまたも飲みほしました。

 

薬に体制が付いていたのか、その時は死ぬどころか意識さえ失わず、病院で点滴をされ尿道カテーテルをぶち込まれただけで済みました。その後、精神科閉鎖病棟へと連れていかれました。2ヶ月間そこで大人しく暮らしました。

 

辞めると誓い、退院をしましたが簡単に辞めれるはずもなく、毎日では無いですが、時たま病んだ時にしていました。

 

またも、死にたくなりました。精神科の通院の時に、入院することは出来ないかと訪ねましたが、退院してからある程度の期間が経たないと再入院は出来ないと言われました。

 

ここで2度目の自殺を試みました。今度こそはと大量の薬を何便も買い、全て飲み干しました。

 

救急車に運ばれていくのを覚えています。幻覚があちこちに見えていました。病院につき、名前を聞かれたくらいから記憶はとんでいます。

 

目覚めると人工呼吸器とあちこちに点滴が刺され、尿道カテーテル、オムツをはかされ、ICUにいました。まだ薬も残っていたのか文字だけがボヤけ、看護師全員が知り合いの顔に見えたり、看護師同士の話し声が私への悪口に聞こえたりしました。人工呼吸器を外されると、声が一言も出なかったです。外された時の痛みは今でもトラウマです。炭(?)を入れられたのか便はホントの本当の真っ黒になっていました。看護師さんいわく、1度心臓が止まったと言われました。お医者さんには致死量を超えているとの事。何日か熱が下がらず、まともに歩けず車椅子生活でした。回復し、またも2度目の精神科入院。

 

退院し、それでも辞められず、友達に泣かれたり、彼氏に嫌気をさされたり。その後もODが理由で、救急車に運ばれたり、警察にお世話になったり、精神科入院したりを繰り返しました。

 

それでも今辞めれている理由は、精神的に安定しているのも1つ有りますが、1番は薬自体を体が拒否反応を起こしているのです。普通の薬(適量)を飲もうとしてもODの時のトラウマで吐き気がします。酷い時はお茶でさえも薬を飲んだ時の事を思い出し吐き気、金平糖を口に含んだ時も薬を連想させてしまい吐き気がします。

 

これを読んでもなお、ODをしてみたいと思う方がいるかもしれませんのでODをした時に経験したしんどかった事を更に紹介します。

 

その前に恥ずかしかった事も紹介します。叔父にいきなり電話して性について話していました。メイクがぐちゃぐちゃなのに異性の方と会っていました。外で叫んだり、地べたに寝転んだり…。救急車に運ばれる時に近所の人達に覗かれ噂されたり…言うとキリがないですね。そもそもこんな事してる自体が恥ずかしい事なのです。

 

バッドトリップは本当にしんどいです。今まで1番の苦痛は?と聞かれるとODのバッドトリップと答えます。吐き気、嘔吐はもちろん、すっごく寒い→すっごく暑いを数分事に繰り返します。理由はよく分からないけど怖くなり何かに怯えたり、壁に頭を無意味にぶつけたり、腕にミミズがはってる感覚が走ったり、上手く息が出来なくなったり、気力を失い話す事も何もかも面倒になったり、悲しくて悲しくて涙が止まらなくなったり、上から押さえられてる感覚がしたり…。

 

だいたいこういう事をしたがるメンヘラちゃん達はかわいい子がたくさんですよね😊そんな子に1つ注意点を挙げておくとすると、翌日、めーちゃくちゃ浮腫みますよ?足のこうが、ぷにぷにしてるんです。足が2倍3倍にまで太くなります。顔も凄いですよ。顔面が絵に書いたような見事なまん丸。それにデカくなってます。

 

私が精神科で出会ったODをしていた子の体験談だと、薬を飲んでいない時でも記憶を失ったり、ODした時のノリで飛び降りを測ったり…。ODできない時の対処法としてミンティアやラムネなどでOD気分を味わってる人もいました。

 

では、何故こんなにも痛い目を見ているのに辞めれなかったのか…。

 

病んだ時の対処法がこれしかなかったからです。

病む→ODする、この癖を付けてしまうと、病む→OD→現実を見る→病む→OD…の繰り返しです。

 

ここまで読んで頂いた皆様に、ただ、辞めた方がいい。しない方がいい。などと言うつもりは無いですが、ただでさえ病んで辛い人生を変えようとした事で、もっと酷い辛い人生になって欲しくは無いです。

 

あなたの人生が少しでもいい方向に進めますように。